母を看取る(3)

12月7日

 

 昨日はゆっこさんの所属する合唱団の

発表会を一緒に見に行ったね。

みんなが歓迎してくれてゆっこさんも久々に

大好きな先生や仲間に会えて嬉しそうで

頑張って出て行って本当によかったね。

去年はここで一緒に歌ってたんだもの。

どの曲も先生の解説付きで心温まるものだった。

決して完璧に音がとれていて上手というわけではないけど、

魂の響きが共鳴して聴いている私たちに届く。

歌は心で、魂で歌うものなんだなと思った。

先生の言葉の中で「念ずれば 叶う」「念ずれば 届く」

というのと「ものごとはずっとずっと続く、終わりではない」

ってのがすてきだった。

改めて素晴らしい先生と合唱団だなぁと思った。

 

12月9日

緩和ケアのM先生の受診日。到着するなり

「先生、うんちが出なくて苦しくて辛いんです」

と母が言うと先生はにっこり

「誰もが通る道です。

それは解決する方法がたくさんあるから

心配しなくても大丈夫ですよ」と。

大腸小腸の働きなど細かい説明を図解で

丁寧に教えてくれる。

先生のゆるぎない自信に満ちた笑顔が何より信頼できる。

改めてM先生を訪ねてよかったなと思う。

「何か不安なこと、聞きたいことはありますか?」

と問われてとっさに何も出てこない。

……正直何もないのだ。

だって私は何でもできるわけではないから。

いや私は何もできないと言った方がいいだろう。

ただ最後の時を懸命に生きる母に寄り添って

 

母の姿を心にしっかりと焼き付けて

からしっかりバトンを受け取って

自分を生きていくだけだから。

できる限りを体験しつくすと決めたから。

不安、とかそんなこと言ってられない。

 

12月10日

今日は高崎で長谷川ひろ子さんの映画

「生死(いきたひ)」を見る。

自宅でご主人を看取った記録などをまとめた

 

ドキュメンタリー映画&講演会。

死は怖いものではない。

忌み嫌うものでもない。

生の中に死は存在するし

死の上に生が成り立つ。

死んでいく姿を見ることは

精一杯生ききることにつながる。

バトンは受け継がれ、

今バトンを持った私たちは

自分らしく楽しんで生きることで供養をする。

そしていつか私もバトンを受け渡す時まで。

いつか、は明日かもしれないし20年後かもしれないけど…

 

そういえばおとといはジョンレノンの命日

“imagine”

久々に聴こう

魂を揺さぶられる素敵なお話がたくさん聞けて

 

今日は本当に行ってよかった。

スペシャルなタイミング、スペシャルな日になった。

 

 

帰りに10分だけ顔を出した。

足を少しマッサージしてあげたら

気持ちがいいって笑った。

その笑顔で救われる気がしたよ。

笑顔をありがとう。

帰りに握手をしたら

柔らかく温かいその手で

私の手をぎゅっと強く握って

なかなか離さなかったね。

 

遠い昔、きっと反対だったよね。

人は不思議だね。

こうやって帳尻を合わせてくる。

本能だろうね。

 

12月11日

 

今日は仲良しのお友達が遊びに来てくれて

楽しかったね。

久しぶりに会えて

おしゃべりできてよかったね。

感謝。

足をマッサージすると気持ちが良さそう。

これから毎回マッサージしよう。

手を当てる

手当

看る

手と目で看る

だね。

帰りは握手。

またまたなかなか離れられない。

確かなエネルギーの伝達。

 

 

●エピソード(0~10歳)

 

私が小学校3年生から働き始めた母。

それから数十年、

休むことなくフルタイムで

働きっぱなし。すごいなぁと思う。

学校から戻るとひとりバスに乗って

母の職場に行くのが楽しみだったな。

宿題をしたりおやつを食べたりして

母の仕事してる姿を見ながら待ってるのが

すごく好きな時間だった。

 

●エピソード(10~20歳)

優しくておしゃれで明るい母は

私たちの友達にも大人気だった。

姉が高校の頃は家が近いこともあって

毎日のように姉の友達がうちに来ていた。

姉がいなくても

母に会いに来る男の子もいたくらい(笑)

母の作るドーナツはその頃から

ずっと大人気。

昔から何度も

一緒に作ったけど、

母じゃないと出せない味があるなとつくづく思う。

 

 

●エピソード(0~10歳)

母の味で思い出した。

ぼんやりとした遠い記憶、

でも舌は確かに覚えてる。

カラメルがほろ苦い手作りプリン。

透明の色付きセロファン紙に包まれた

香ばしいバターの香りのキャラメル。

忙しい中、おやつまで手作りとは!

改めてスーパーお母さんだったなぁ。